コンベンション後からだいぶ間が空いてしまい失礼しています。
台風15号から一週間になりますね。
皆さま被害など大丈夫でしたでしょうか。
友人知人、クマのお客様にもご住所などから
千葉南部中心に今も停電、断水、食料など
未だ大変な状況の地域の方もいらっしゃることと思います。
どうぞ早く平常に戻りますように。
千葉と成田の間の市にある私の実家も長期停電に見舞われました。
大きな被害はなかったけれど、それでもプチサバイバルな3日間。
自分の備忘録として忘れないうちに日記に残しておこうと思います。
久しぶりの更新がクマのお話でなくてごめんなさい。
長くなるし個人的なことも含まれますが、もしよろしければおつきあいください。

8日(日)
先週末はミニチュアベアイベントU15bでしたね。
私もこの日にベア友さんと行くのを楽しみにしてたのですが、
急用で急遽千葉へ主人と戻ることに。
15号が近づいていることもあり、この日は実家泊。
うう、これが本当に良かった。
実家の独居の母のもとにはほぼ毎週末泊まりで帰っているのですが、
この週は予定があり東京にいるはずだったのです。
大きな台風だと言われていても、いつも通りにすぎていくくらいの危機感無しで、
次の日手伝いに行こうくらいに思っていました。
9日(日)
明け方4時頃から地響きもするようなものすごい風で、
三人でいられたことに本当に感謝。
お茶でも入れようかと思ったら一回目の停電が。
すぐに直り、しばらくしたらまた停電です。
きっとまたすぐ戻るだろうと思ったらなかなか戻らない。
家の周りは物が散乱だったけれど大きな被害もなく、片付けをすませました。
JRが8時まで止まるのはわかっていたし、
まあ動きだすのは昼過ぎだろうと駅までいってみると
早くて18時以降、復旧の目処立たずとのこと。
結局10日午後まで陸の孤島となりました。
メールで知らせてはいたものの、心配した妹が東京から車で向かうも
3時間で5メートルも動いてないのでは?という鬼渋滞で、
進むも戻るもままならない中、外交官ナンバーが路肩をすり抜けて行くのを見て
後に続きやっと引き返したと連絡が。
JR駅で京成電鉄は間引きながらも動いているらしいと聞き
隣町の京成駅へ車で向かいました。
インコたちもいるので
どうしてもこの日中に主人だけでも帰したかったのですが
行ってみれば全面ストップ。こちらも目処立たずだそうです。
地獄の暑さの家にもいられないので
隣町のユーカリが丘のイオンモールに向かいました。
途中、何色も示さない信号がいくつもあり、
所々で小さな事故が起きていました。
事故があった交差点にはお巡りさんが手旗信号をしてくれているのですが、
多くはみな譲り合いで恐る恐るの通行です。
緑のおじさん、おばさんが立ってくれている交差点もありましたが、
慣れてないのでなかなか難しい。
へなちょこドライバーにはかなりな難度のミッションでした。
イオンの100円カフェスペースをベースに5時間はいたでしょうか。
テーブルについているコンセントで携帯充電しながらのんびり過ごしました。
周辺の街から避難、充電に来ている人たちがいるものの、
イオン店内は全くいつもと変わりなく平和そのもの、
コンセントに並ぶこともありません。
実家の周りだけで言えば、市全域停電ではなく斑停電、
断水も携帯の不通もガソリン給油の長い列もなく、助かりました。
この時点でまだ私は帰った頃には電気も復旧しているだろうと
甘く考えていたのです。
隣の方が市原の高圧電塔が2塔倒れて
今日中の電気復旧見込なしと教えてくれました。
20時過ぎに京成が動き出したという情報が。
主人だけ駅に送り届け、母と私が真っ暗闇の家に戻ったのは21時過ぎ。
車庫に入れるのも暗すぎて一苦労です。
家には懐中電灯完備でも何とも心もとない。
ここでびっくり大活躍だったのが、イオンのDAISOでダメもとで買っておいた
300円のLEDインテリ照明。
LEDランタンをさがしたのですが、
もうその手のものは売り切れで
大した光源じゃないだろうけど取り敢えず買っておいたのですが、
雰囲気抜群、一台でも嬉しい明るさ。
単三3本で38時間(確か)、柄を持ってどこにでも移動でき置ける
コスパ半端ないすごいやつなのです。
今手元に無く、正式名称がわからないけれど、
これ絶対にオススメ、非常時用に一家に数個あってよしです。
大感激した母と次の日別のダイソーに買いに走りました。
お弁当を食べて早めに就寝。
真っ暗闇で怖くて窓も開けられない室内は本当に暑く、
夜中に汗だくで目が覚めましたが
母に聞くとさほど暑くないと。
これが高齢者の怖いところなんですね。
10日(月)
この日も朝から暑かった!
8日に沸かしたまだ緩いお風呂の水で行水。
気持ちよかったけど明日は無理だな。
この日もイオンに避暑へ。
リベンジでやって来た妹と合流し
東京の妹の家に避難するよう二人で説得するも
慣れた家にいると母。
身支度もあるので明るいうちにと暑い家に戻ると
民生さんから臨時避難場所が開設された情報が。
この時点で電気復旧の目処もなく、
再三の説得の末、やっと避難ということになりました。
さあ、ここから暗くなるまでに身支度、
冷蔵庫の中の生物に火を通したり始末など
大慌ての作業です。
これがですね、SFサスペンス映画さながら。
よく暗闇がどんどん迫って来て逃げ切れず
ドキドキする映画のようなスリリングさ。
結局日が完全に落ちたランプの中ご飯を食べて
ブレーカーを落として車で東京に向かいました。
11(火)
昨晩帰宅後、気がつけば朝。
台風以来初めて、千葉南部などの被災状況を映像で見ました。
猛暑の中、停電だけでも不便で大変なことなのに、
断水、携帯不通、ガソリン、食料の心配まで、
体力的にも精神的にも本当に大変なことと思います。
どうぞ早く日常がもどりますように。
実家の停電は夕方に普及し、
出張から帰って来た弟が夜安全を確認に行ってくれました。
散々行かないと駄々をこねていた母は妹の家で孫に囲まれ楽しく過ごし、
今は千葉で平常にもどっています。
今回、弟妹姉で連携できたのも心強かったですが、
台風時実家にいられたことが神様の助けでした。
12日、大切な知人の葬儀で私は千葉に戻りました。
8日に急遽予定をキャンセルして千葉に戻ったのは
その方の危篤の連絡を受けたからでした。
人一倍正義感が強く、優しく、家族思いの人だったから
きっと心配して呼んでくれたんだと思います。
ありがとうね。ゆっくり休んでね。